『 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山さくら花 』 − 本居 宣長 −
時は昼頃、花はソメイヨシノだが(^^ゞ この歌をどうしても紹介したい。というのは、現代日本人の99%が誤解または理解できていない歌だからです。大和心、大和魂と聞いて貴方はどんな連想をするだろうか?まず間違いなく、武士道やら戦争と結びつけたイメージを描いていないでしょうか?が、これは大嘘というか、大間違い。流布というものには、実にいい加減なものがある、その典型なんです。 何故、そんなことが言えるのか? −後拾遺和歌集より− 妻に送る大江匡衡(おおえのまさひら)の歌、 返し、赤染衛門 −源氏物語 乙女の巻より− 以上、小林秀雄著「本居宣長」より 唐国のもののしるしのくさぐさを 大和心にともしとや見む −赤染 衛門− ご覧のように、大和心も大和魂も平安期の女性が使いだした言葉だったのです。『 うちの亭主(男)はなんて馬鹿なんだろう。きっと大和心がないからに違いない! 』大和心とは、そのような使い方がなされていた言葉だったのです。この構図は現代でも全く同じこと。愚かな人間にならぬよう学問をすること。二千年もの間、日本人はそれと苦闘してきた、と言えるのです。桜を眺めていると、私は心を新たにし、姿勢を正そうと誓います(^^ゞ さて、宣長の『 歌の味わい 』が伝わってきたでしょうか?
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