奥入瀬に翡翠の流れを取り戻そう!

2007.07.02 阿修羅の流れの下流 (想像図)
 

 この奥入瀬渓流の水の色は70年前にはこうだったろうと思われるもので、現実には青みがかった灰色になっています。その理由をご存じない方は、奥入瀬はなぜ濁っているの?と思われているかもしれません。しかし、この水の色を取り戻すことはできます。私たちが思い出せなかっただけのことだったのです。その経緯を理解するには、70年前へと遡らねばなりません。

 らうかんの珠(たま)をとかしていまだ足らずなに秘めたりやこの湖(うみ)のいろ  九条武子−十和田湖

 あまりにも森閑として人間のあやまちて入りし境かとおもふ  九条武子−奥入瀬渓流


 2006年10月から、青森県県土整備部河川砂防課では「十和田湖・奥入瀬川の水環境・水利用検討委員会」を発足させました。多くの方はご存じないと思いますが、十和田湖の湖水は水力発電にも利用されています。その歴史は古く、昭和十二年まで遡ります。この間、水力発電に限らず、三本木原国営開墾事業計画などの灌漑用水にも利用され、農林省、内務省、逓信省、青森県、秋田県及び東北振興電力(株)などが複雑に関わり、現在に至ります。


 十和田湖から流れる水は、奥入瀬渓流と水力発電のための青ブナ取水口の二ヶ所のみですが、十和田湖・奥入瀬渓流は 国立公園特別保護地区であり、同時に特別名勝及び天然記念物に指定されています。また、この二ヶ所からの放水量は奥入瀬川 河水統制計画により子ノ口制水門からは毎秒 5.56t (最大値)、青ブナ取水口からは毎秒 20t (最大値)と定められています。簡単に言えば、奥入瀬渓流の4倍ほどの水が発電に利用されていることになり、70年もの間このような状態が続いてきました。が、近年の環境保護意識の高まり等によって様々な問題が認識されるようになり、ようやくこれが見直される気運が盛り上がってきました。


 


昭和12年奥入瀬川河水統制計画 (河水統制計画概要原文

青森県三本木原及木下平ニ於テ二千五百町歩ヲ開墾シ之ニ併セ水力発電事業ヲ行フ為国立公園十和田湖ノ風致ヲ損セザル範囲ニ於イテ同湖ノ水ヲ貯留シ之ヲ必要ニ応シ放流利用ス




 さて、そもそも、奥入瀬川河水統制計画ではなんの根拠があって毎秒 5.56t と定めたのでしょうか。実はその根拠には明確なものはなかったのです(当時は二百立方尺というキリのよい数字を用いたようで、これを換算すれば 5.56 m3/s となるそうです)。この河水統制計画以前、つまり、子ノ口制水門ができる前は毎秒 6t 前後の水量があったのです。
 

  であるならば、私たちはなるべく本来の奥入瀬渓流の姿に近づけるべく努力せねば、と私は考えました。これまでは制水門を人為的に操作した水量だったのですが、これを本来の自然な姿に近づけようと。もちろん、全くの自然に戻すということは不可能です。また、自然状態では水量の増減が甚だしく、今となってはそれも問題となるでしょう。ですから、人為的であることに違いはないのですが、なるべくならば自然の状態に近づけたい。自然を操作しようなどと思い上がらず、謙虚に、畏れを以て、十和田湖や奥入瀬渓流と向き合う。
 


2007.06.05 銚子大滝(5.2t の放流実験時)
 

 では、本来の奥入瀬渓流の姿とはどんなものであったか。これは70年も前のことになりますから、確かなことはわかりません。でも、銚子大滝などの流れが、現状とは大きく違っていることは写真で確かめることができます。制水門ができる以前は、銚子大滝は大瀑布と形容していいほど、豊富な水量を誇っていました。現状では、滝の端にある岩によって、流れが分断されています。また、私の子供の頃は、石ヶ戸から歩いてきたお客様が、銚子大滝の前で歓声をあげていたことを覚えています。それほどの水量だったのです(その当時も 河水統制計画下にありましたが)。私は記憶を探りながら、本来の奥入瀬渓流の姿を求め続けていました。


 そんなある日(2007年4月24日)のことです。いつものように奥入瀬渓流を車で走っていたところ、助手席の妻が「あれ、いつもより水の量が多い」と言い出しました。なるほど、たしかに普段とは違って水量が多いのです。が、それだけではありません。奥入瀬渓流の水の色が違っていたのです。「あ、十和田湖の色だ!」私は思わず叫びました。奥入瀬渓流は十和田湖から流れ出る川なのですから、水量が増えれば十和田湖の色に近づくというのは、考えてみれば当たり前のことです。


 ではなぜ、この日の水量が多かったのか。奥入瀬渓流の放水量が決められているのと同時に、十和田湖の湖水面の標高は自然公園法、文化財保護法、河川法によって季節毎の基準水位が決められています。この水位を守らねばならいのですが、今春はとても水位が高く、ボートハウスでは浮き桟橋を固定桟橋に繋げないほどだったのです。ですから、おそらくはかなりの量を放水していたと思われます(河川砂防課による東北電力への問い合わせでは、4/20−4/25に最大許可流量を放流していたとの回答があったそうです)。


 奥入瀬渓流の水量が少ない現在、川の色はどこか薄汚れているようにも見ます。青灰色というか、青みがかった灰色のようにも見えるのです。なにも知らない方は、どうして奥入瀬は濁っているの、と感じているかもしれません。ところが水量が増えれば十和田湖の色に近づき、 翡翠の流れになるのです。これこそが奥入瀬渓流本来の姿だと、私は確信いたしました。
 

2007.07.02 翡翠色の流れを発見!
 

 左の画像は言うまでもなく奥入瀬渓流で、ちょっと青みがかった灰色を呈しています(レタッチ前の元画像)。夕方の撮影なので色の再現性はよくないのですが、これが毎秒 5.2tの色であり、無惨な姿に私には見えます。これに対して右側が今回発見した翡翠色の流れですが、厳密に言うとこれは奥入瀬渓流ではありません。そうであっても十和田湖から流れ出たもので、素性は奥入瀬渓流と100%同じなんですね。


 お気付きになりましたでしょうか?
これが毎秒 20tの水量を誇る発電に使われた湖水なんです。焼山の発電所から奥入瀬川に合流しようとする十和田湖の水。実に悔しいことに、真暗闇の送水管にはこの 翡翠色の流れが存在していたのです。ですから、焼山の逆調整池ではいつでも翡翠色の流れを確認することができます。


 冒頭の翡翠色の奥入瀬の流れは、この発電用水の色を反映させたものですが、この地点は阿修羅の流れのすぐ下流で、水深もあり、水量が増えれば 、正に翡翠の流れとなるはずのポイントなのです。これらの事実は、青森県民はもとより、ほとんどまだ誰にも知られていません。が、幸い、青森県の河川砂防課長は十和田湖・奥入瀬川の水環境・水利用検討委員会にて、奥入瀬渓流の毎秒 6tの流れを各方面と検討すると仰って下さいました。


 奥入瀬渓流に翡翠の流れを取り戻し、歩行者天国化を実現する。それこそが奥入瀬渓流の本来の姿であり、同時にそこに人間のための空間が生まれます。人間のための空間−実は私たちはこれにあまりにも無頓着だったのです。例えば、人工の騒音から離れるということなど、現代日本では極めて難しいことです。静謐−それ自体が私たちの身の回りから姿を消し去っています。或いは、夜の暗闇−天の川が見える地方もどんどん少なくなってきていることでしょう。奥入瀬渓流にはまだまだ大自然が残されています。もう少しの努力で、この大自然がその本来の姿を取り戻すことができます。そこには九条武子の歌の世界が、再び甦ってくるに違いありません。