今や世は、挙げてIT革命と騒いでいます。私たちはインフォメーション・テクノロジーいう語の、テクノロジーばかりに注目し、そして、振り回されている。が、肝心なことは、そのようなテクノロジーを生み出した背景なり、姿勢なのではないのか?それがわかっていないことには、テクノロジーの意味することも理解できない、と私は思う。そしてその肝心なものが、インフォメーションという語に、既に内包されているのではないか。
道路標識、然りなのだ。一昔前までは「あの標識を見ていなかったのか!」とエラそうに説教する取り締まりの警察官がいた。さすがに今では見かけないが、構造は今もなんら変わっていない。制限速度を守れ、と道路交通法は言う。が、今やその考え方は通用しない。何故なら、6.のカーブに突っ込む車を、現道交法は減らすことができないからである。それは道路標識が信頼されていないからである、と私は思う。ゆえにドライバーは誰も見ていない。これは明々白々たる事実。
毎年、カーブに突っ込んでいく何台もの車がそれを証明しているのだ。不注意なドライバーが悪いのではない、適切なインフォメーションがなされていないのだ。週に何回も通っている私ですら、積雪で景色が変わってしまうとアンティシペイション(予期しての先行動作)ができなくなることがある。いわんや初めて運転する道ならば、その危険性は一挙に増大する。運転注意義務を言う前にインフォメーションの在り方を考える、それがIT革命の本質、ではなかろうか。
だとするならば、考え方を改めよう。姿勢を正し、どのようにしたらドライバーが速度を守ってくれるのか、それを現実的に考え実行するダケのこと。我々ドライバーも、面倒くさがらずに意見を言い、道交法改正を考えよう。
ご覧いただいたように、インフォメーションとは片務的な押し付けでは成り立たないもの。こうして通信世界を楽しんでいるみなさんにはおなじみの、クリック一発で全てが決まる世界なのである。即ち、ユーザーが全ての決定権を握るのがネットワークの掟なのである。ネットワーク社会の到来は、ドライバーを取り締まり対象と見るのではなく、ユーザーとして認識する必要を迫ることになろう。文化観光立県を宣言した我が青森県は、更に一歩踏み込んで、ドライバーをお客様として認識する必要さえある、と私は思う。
青森県を訪れてくださったドライバーが、快適な旅行を楽しむために、全国に先駆けて道路標識の在り方について、考え、実行するというのは、これは大きな観光資源たり得る。地方自治体がその気になれば、これぐらいのことは実行できるのではないのか。日々、注意を怠らずに暴走する一ドライバーとして提案したい。同時に、青森県を訪れてくださるドライバー諸氏には、アンティシペイション(anticipation)の一助になることを願って止まない。現状では、「スリップ注意!」の標識を見かけたら、必ず速度を落とさねばならない。その先には、物凄いカーブが待ち受けていると知るべし。
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