2007.06.01
 

 月の会のみなさんが、わざわざ十和田湖までお出でになり、湖上観月会を実施してくださいました。日中はお天気も良く風もなかったのですが、夕方からちょっとだけ風が出て波が立ってしまいました。そのため、撮影した画像はほとんどがブレてしまいました。それでも撮影を除けば絶好のお月見日和。19時過ぎの出航でしたが、舟にお酒とオードブルを持ち込み、ワイワイと賑やかに月の出を待つことになりました。この月を待つ時間が楽しく、月の会さんによれば「月は待つもの」なんだそうです。そういえば、現代社会では「月を待つ」なんて風流は廃れてしまったようです。

 出航して間もなく、宵の明星金星がとても明るく輝き、その右手に双子座ボルックスとカルタスが三連星のように並んで見えました。ここで面白かったのは、恒星は瞬くが惑星は瞬かないというお話し。確かに、金星が瞬くなんてのは聞いたことがありません。この後、延々と月を待ち続けることになるのですが、月の匂いを探し求めて話題が尽きることはありませんでした。残念なのは画像がほとんど使用に耐えないこと。
 


 
 


 

 この日は旧暦の四月(卯月)十六日の望月。十五夜が必ずしも満月とはならず、16日や17日の満月もあるそうです(志賀勝著「月的生活」より)。で、この日は十六夜(いざよい)の望月で、月の出は19:41でしたが、山の端から昇ってきたのは20:47頃でした。ご覧の画像はピンぼけもいいところで、手前の行灯にも月にもピントが合っていません。が、ブレが少なく当夜の雰囲気を伝えられるものとして掲載することにしました。
 


 

 上記は中村不折による軸ですが、月光の文字があることから、恐らくは湖上観月会を催した時のものであろうと思います。背景の黒々とした山は御倉半島でしょう。月は御倉半島の右上にうっすらと描かれています。とすると、月が西の空に沈まんとする明け方の描写ということになります。果たして、当時の方々は空が白む頃までお月見をしていたのでしょうか。

 なお、6月30日にも湖上観月会を実施しようと思います。ぜひ、お問い合わせ下さい。風雨の強い場合は中止となりますが、ご了承願います。
 


2007.06.03 中ノ湖俯瞰所
 

 今度は6月3日の雲海です。春に風がなく、放射冷却現象が起きたとき、十和田湖に雲海が出現いたします。通常、雲海の朝は曇り空と思い込んでしまいがちです。天気図では晴天のハズなのに.....と恨めしく思う。そんな朝は雲海に覆われていることがあります。雲海は10時頃には消え去ってしまいますから、その前に中ノ湖俯瞰所などの高所へ急がねばなりません。今年は、この雲海がなかなか出現しませんでした。同様に、五月晴れも少なかったのですが、ここ数日は晴れの日も多く、こうして雲海も出現したのでしょう。

 十和田湖では今、エゾハルゼミの合唱をお楽しみ戴けます。その他に、ウグイス、ツツドリ、十和田湖では滅多に見かけないカッコーも。ご覧の中ノ湖俯瞰所は、宇樽部トンネル開通に伴って通行量が減り、とても静かな環境を取り戻しました。湖から月を愛でたり、湖を見下ろしながらのアウトドアクッキングなどがお奨めの日々が続きます。
 

追記:2007.06.11



2005.06.21
 

 

 上記画像は2005年6月21日に撮影したものですが、この時は全くと言っていいほど波がありませんでした。左手の画像は絞り開放で5秒露出、右手は4.5秒でした。月の昇り具合から右手画像はもっと露出時間が長くなければならないハズでしたが、如何せん、失敗してしまいました。が、その分、ブレが少なくなったようです。

 それにしても、「月待ち」というのは実に風流ですね。私たちが忘れていた大切なものを、月の会のみなさんに教えて戴きました。不定時法から定時法へという大枠の変化、そして効率が求められる現代社会。その狭間で、私たちは意識して努めないと、本来の生活の姿すら忘れてしまうのですね。月に思いを馳せること、それは決して古くさいものではなく、地球環境云々が声高に叫ばれる今こそ思い出すべき生活の在り方ですね。その証拠に、日本人ほど省エネルギーの生活を身に付けている民族は他にないとも言われています。ましてや、「月待ち」の文化は遙かに省エネルギーであり、「勿体ない」がごく当たり前に機能していた文化だったハズ。そしてなによりも、現代とは比べものにならないほど豊かな精神性を持っていたと思います。...う〜ん、永平寺門柱の「杓底の一残水」という言葉が浮かんできました。